どうも、でりおてんちょーです。
今日のDaily Stockは、コミュニケーションの資本主義化による弊害についての話です。
今日のDaily Stockは、コミュニケーションの資本主義化による弊害についての話です!
— でりおてんちょー|derio (@yutakandori) July 24, 2024
コミュニケーションというものは本来、資本主義的な商品になりづらかったが、それが商品化されることで新しいマーケットが形成され、資本主義の内部に取り込まれるという流れが生じているhttps://t.co/be62ZfCSFW pic.twitter.com/lzEldK77cn
まさに本質的な話。
— Tomy_DAO設計士 (@TMR_DAO) July 24, 2024
価値とは何か
を自律的に設定することの重要性。 https://t.co/NjhdmsqAQS
答えが書いてあったhttps://t.co/EULhpyz6Bc https://t.co/k2YiAJTpBv
— Tomoki Yamaguchi | synschismo inc. (@0xguss3) July 24, 2024
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今回は、敢えてweb3ソーシャルがもたらし得るネガティブな側面に焦点を当ててみたいと思う。
さて、我々は現在、web2ソーシャルが当たり前になった社会を生きている。そして、そこに金融価値のやり取りをスムーズにするweb3ソーシャルが誕生しつつある状況だ。
例えば、Warpcastではtip機能が実装されているが、これによりお礼の気持ちに金銭的な価値を付加することができるメリットがある。
一方で、従来は金銭的な価値を帯びていなかった「コミュニケーション」が資本主義化される速度が加速していると、個人的には感じている。

もともと、人間のコミュニケーションの大半は、資本主義の観点から見ると非効率的なものである。
そんなコミュニケーションが、資本主義の性質を”強く”帯びるようになると、最適なコミュニケーションの方法が変わってしまう。例えば、無駄なやり取りを省くことで表面的な関係性しか構築できないような弊害が生じる可能性が高まってしまうことなどが挙げられる。
このように、従来は資本主義の外側にあったものが内側に引き込まれる現象を、ここでは「資本主義化」と呼ぶことにする。
コミュニケーションというものは本来、資本主義的な商品になりづらかった。しかし、技術の進化によってプロトコルのようなものが誕生し、それが商品化されることで新しいマーケットが形成され、資本主義の内部に取り込まれるという流れが生じている。

例えば、ここ100年ほどの間に資本主義化された事例としては、マッチングアプリ・冠婚葬祭・家事代行・メンタルヘルス・自然資源(ミネラルウォーター、森林、海洋資源など)などが挙げられる。
そして、最近ではTwitterやWarpcastなどをはじめ、web2/web3を問わずSNSを通じたコミュニケーションが資本主義化される前段階にあると、個人的には感じている。
何故この兆候が必ずしも良いことばかりではないかと言うと、資本主義というミームにとっての利害と、我々人間にとっての利害が必ずしも一致しないからである。


要するに、人と人とのコミュニケーションから不要な要素を徹底的に排除すると、資本主義的には効率が良く、また個人にとっての利便性・経済合理性という意味では恩恵があるかもしれないが、人間全体として見ると必ずしも良いことばかりではないということだ。
今まで資本主義の外側にあったものが資本主義化され、効率化・最適化されることで、「思いがけない情報のやり取りや出会い」がなくなり、人と人とのつながりの希薄化に拍車がかかってしまうのではないかと個人的には危惧している。
異性との付き合いや子育て、家族とのつながりなども、効率化とは対極にあるコミュニケーションであると個人的には思っている。こうした非資本主義的なコミュニケーションに不慣れになってしまうことも、人類全体にとっては不利益なのではないだろうか。
また、これは「アテンション商人」の記事でも述べたが、自分を金融商品化すると、他者との比較を促進したり、メンタルに悪影響を与える可能性が高いと言われているが、そういった土壌が水面化でシステムとして構築されようとしていることは、知っておくだけでも損がないと思っている。

最近では、SNSで炎上を目にする機会が増えているが、その要因を紐解いていくと「余裕がない人が増えている」だけでなく、こういった構造的な要因が裏にあるのかもしれない。
そのため、Twitterがユーザーに金銭的インセンティブを提供したり、web3ソーシャルがそれを加速させることは、技術の進化としての恩恵がある一方で、コミュニケーションの資本主義化による弊害にも目を向け、理解しておくことが、これからの時代を健やかに生きるためのリテラシーとなるのではないだろうか。