さてここ数日、NFT界隈では、「Pudgy PenguinsがBAYCのフロアプライスを超えるか否か」という話題で賑わいを見せていました。
結果として、一時的にでもペンギンが猿のフロアプライスを越えたという事実は、多くのNFTコレクター達にとって盛大なる祝福の瞬間として捉えられていたように思います。
ただ、多くの人たちが諸手を挙げて祝賀の意を表する一方で、昨今のNFTに関する報道が『過剰な金銭的価値の追求』に偏りがちであることに、ある種の違和感を覚えずにはいられません。
何故このような現象が起きているのか。様々な要因が複合的に絡み合っているとは思いますが、一つは「価値」と「価格」という二つの概念が、しばしば不適切に混同されていることが挙げられるでしょう。
そこで、まずはこの概念的な混同を要素分解することで、なぜNFTのフロアプライスが現在のような異常な注目を浴びるに至ったのかを解明する鍵となり得ると同時に、「価格」以外の軸からNFTコレクションを評価することはできないのかについて模索する一つの契機になり得るのではないかと考えています。
ということで本記事では、「価格」と「価値」の違いに注目し、NFTが現在のように金銭的価値の側面から高い注目を集めるようになった背景をおさらいしながら、日本文化論の名著の一つ「茶の本」における教えを引用して、『金銭的価値ではない「価値」の創造と、その評価に長けた日本人ならでは強みについて』に焦点を当てていきたいと思います。
でははじめに、この記事の構成について説明します。
まずは、そもそも「フロアプライス」とは何なのかについて軽くおさらいし、それが誕生した大まかな経緯や、フロアプライス至上主義の台頭について論じていきます。
続いて、「価値」と「価格」の違いについて深掘りしつつ、『茶の本』について簡単にご紹介し、物質主義と精神主義という西洋・東洋の価値観の違いをもとに『価値とは何か』について紐解いていきます。
最後に、NFTにおける金銭的価値以外の「価値」の追求というテーマを中心に、不完全性の美学とは何かや、Lootや音楽シーンに倣う空白(虚)の残し方、多次元的な価値評価モデルの創出などについて、私見を交えて考察を展開していきます。
※本記事は一般的な情報提供を目的としたものであり、法的または投資上のアドバイスとして解釈されることを意図したものではなく、また解釈されるべきではありません。ゆえに、特定のFT/NFTの購入を推奨するものではございませんので、あくまで勉強の一環としてご活用ください。
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「フロアプライス」という価値評価軸についておさらい
本章では、フロアプライスというものの内容をおさらいしつつ、その誕生の大まかな経緯や、現在のフロアプライス至上主義の状況などについて概観します。
そもそも「フロアプライス」とは
NFTの世界でよく耳にする用語である「フロアプライス」とは、一般的に『特定のNFTコレクション内で現在購入可能な最も低い価格』を指す言葉です。そしてこの価格は、そのコレクションに関心がある投資家やコレクターにとって、そのNFTプロジェクトに参加するために必要な最低限のコストを表します。
この価格は通常、コレクション内で最も安価にリストされているNFTの価格に基づいて算出されます。例えば、あるNFTのフロアプライスが0.5ETH
である場合、これはそのNFTを現時点で最も安く購入できる価格が0.5ETH
であることを意味しますが、そのNFTが0.5ETH
の価値があるということではなく、単に市場での最低購入価格を示しているに過ぎません。
例えば、Y
というNFTコレクションがあったとして、その総数が100個だとします。これを特定の一人が100個全てを保有していて、その内の一つをOpenSeaで100ETH
でリストした場合、見た目上のフロアプライスは100ETHとなります。ただ、これを見ても多くの人は『Y
には100ETH
の価値がある』とは思わないでしょう。
また、現時点では多くのNFTコレクションがフロアプライス情報をコントラクトレベルで保持しているわけではないため、プラットフォームによってフロアプライスが異なることがあります。たとえば、同じNFTなのにOpenSeaでは0.5ETH
で、Raribleでは0.6ETH
でリストされていることも珍しくありません
このように、フロアプライスという指標は、常に変動する動的なものであり、OpenSeaなどのマーケットプレイスにおける市場の状況や販売状況によって変化するものです。
つまり、ここまでの内容をまとめると、フロアプライスは「特定のコレクション内で現在購入可能な最低価格」として定義されると同時に、市場の動向や販売状況、さらには販売プラットフォームによっても変動する、非常に動的な指標なのです。
フロアプライス誕生の大まかな経緯
では、「フロアプライス」という価値評価軸が、如何にして現代のNFT市場で不可欠な存在となったのか。
これに関して明確な答えがある訳ではありませんが、筆者はフロアプライスという概念について、『CryptoKittiesのようなERC-721規格を持つゲームアセットが登場した2017年頃に、その頭角を静かに現し始め、Bored Ape Yacht Club(BAYC)が誕生した2021年に至って、この価値評価軸に対する熱狂が一気に加速した』という見解を持っています。
実際、初期のNFT市場はゲームアイテムの売買が主流であり、この時点でのフロアプライスの概念はまだ初歩的なものであったように思います。
しかし、デジタルアートやコレクタブル、PFP NFTが登場するにつれ、市場参加者がNFTの価値を容易に理解できるフレームワークが求められるようになり、フロアプライスはその客観的な価値指標としての地位を確立していきました。
ERC-721規格の最初のNFTとして、一般的によく知られているのは、先述の「CryptoKitties」というブロックチェーンゲームのNFTです。
CryptoKittiesは、個別に識別可能なデジタル猫の保有権をプレイヤーに与え、それらを売買・交換・繁殖させることができるという点で画期的なものでした。CryptoKittiesの登場によって、デジタルアセットの個別性と保有権の概念が広く認識されるようになり、NFT市場の基礎が築かれていったとも言えます。
そして、CryptoKittiesの登場以後、ERC-721規格のNFTコレクションが多数ローンチされることになり、そこに目をつけたOpenSeaが、この市場で迅速に地位を確立していったのです。
ちなみに、当時は日本発のNFTマーケットプレイス「miime(ミーム)」も注目を集めており、この2つのNFTマーケットプレイスが主に使用されていました。(miimeは後にCoincheckに買収されたので、現在ではその名は過去のものとなりました。)
フロアプライス至上主義の台頭
CryptoKittiesの波に乗じて、その後数年かけてNFT市場は徐々に拡大していき、特に「CryptoPunks」「HashMasks」「Bored Ape Yacht Club(BAYC)」のようなプロジェクトが、市場の流れを大きく変えていきました。
そして個人的には、BAYCの登場がフロアプライス至上主義の加熱を決定づけた分岐点であると考えています。
BAYCの誕生以降、コレクタブル系NFTの新ローンチが次々に成功するようになり、それに伴って日本の企業や個人クリエイターも、NFT創作に活発に取り組むようになっていきました。
そして、フロアプライスは、多様なNFTコレクション同士の価値を比較し、ある意味で競争を促進する指標として広く受け入れられていったのです。
つまり要点をまとめると、最初期はゲームアイテムとして一部の間で盛り上がりを見せたNFTコレクションが、デジタルアートやコレクタブル、PFP NFTが登場するにつれ、市場参加者がNFTの価値を容易に理解できるフレームワークが求められるようになり、その客観的な価値指標としてフロアプライスが地位を確立していきました。
ただ、このフロアプライスという指標は、流動性の低いコレクションや、占有率の高い(≒ユニークホルダーが少ない)ものだと、容易に操作することができてしまうというリスクも孕んでいます。
フロアプライスが低いと価値は無いのか?
以上のような経緯を経て、現在もフロアプライス至上主義の風潮が根強く残っているのですが、それでは「フロアプライスが低いと価値は無い」と言えるのでしょうか?
これに関しては、少し思考を巡らせれば、そんなことはないとすぐに分かるでしょう。ただ、具体的にどのような価値があるのかと問われれば、それを言語化して説明することは難しいという人が大半なのではないでしょうか。
実際、フロアプライス以外の価値評価を求める声はあるものの、そのような共通の評価基準を確立することは、現実的には挑戦的な課題でもあります。そんな中で、少しずつこの方向性を切り拓こうとする事例も出てきつつあります。
例えば、以前ご紹介した「Homage(オマージュ)」では、NFTのリミント(再発行)によって参照数が増加し、論文の引用の如くオリジナルNFTの価値が向上する可能性が示唆されました。
これと似たような試みは、ZoraやBasePaintなどで徐々に見受けられるようになってきてはいますが、依然としてその動きは主流に至っていないというのが現状です。
では、「フロアプライス以外の価値評価軸によるNFT価値の測定」を模索する必要性が浮かび上がっているにもかかわらず、一体なぜこの方向での動きはまだ活発とは言えない状況が続いているのでしょうか。
その一つの仮説として、この背景には、そもそも「価値」と「価格」が混同して認識されてしまっていること、さらには『価値の多様性に対する理解の欠如という問題』が挙げられるのではないかと考えています。
従って、「フロアプライスが低いと価値が無いのか」という問いに対峙するためには、これらの前提に立ち返り、再検討する必要があるのかもしれません。
本章の参考資料:
OpenSea – decentralized marketplace for all sorts of digital items
What Is an NFT Floor Price?
What Is an NFT Floor Price? A Comprehensive Guide
What Is an NFT Floor Price?
What Is An NFT Floor Price?
Metrics To Guide Your NFT Buy And Sell Strategy
価値と価格の違い、西洋と東洋での「価値」の捉え方の違い
さて本章では、価値と価格の区別について整理した後、西洋と東洋での「価値」の理解がどのように異なるのかについて探求していきます。
「価値」と「価格」の違いについて
「価値」と「価格」の違いを明確に説明している資料として、個人的には 2021年10月号の美術手帖「アートの価値の解剖学」が非常に参考になります。この節では、その内容に基づいて話を進めていきたいと思います。
まず、本中では「価値」が持つ様々な側面を次のように列挙しています。
- 治癒価値(ストレス解消や精神安定に役立つ)
- 美的価値(美しい、感動的)
- 換金価値(オークションでどれくらいの価格が付くか)
- 宗教/政治価値(宗教勧誘や政治的扇動に役立つ)
- 資料価値(過去の歴史的状況を伝えてくれる)
- 感傷価値(ある個人にとっては思い出の拠り所となる)
- 機能価値(ユーティリティ)
このように、「価値」という言葉は、使用される文脈によってその意味が大きく変わってくるという意味で、非常に主語の大きな単語だということが分かります。
例えば、前章でテーマとして取り上げた『フロアプライスに基づいて価値を評価する』ケースは、ここでは広義の「換金価値」に分類することができます。
つまり、「価格」は広義で換金価値とほぼ同等と考えることができ、前章で提起した疑問「フロアプライスが低いと価値は無いのか?」に対しては、「価格が高いから価値がある」というのは一理あるものの、「価格が低いから価値がない」とは言い切れない、と結論付けることができます。
つまり、「フロアプライスが低くても価値あるNFTを生み出すことは十分可能」だと言えます。
『茶の本』について簡単にご紹介
ではここからは、世界に誇る「日本のこころ」3大名著の一つでもある『茶の本』の内容をもとに、西洋と東洋の美学的感覚の違いと、NFTにおける多様な価値創出の可能性について模索していきます。
まず前提として『茶の本』というのは、今から約120年前の明治時代に執筆されたもので、当時の欧米の物質主義文化に対抗して、東洋の伝統的な精神文化の価値を説いた作品です。
この本が書かれた当時は、文明開化の勢いに押され、日本が欧米の進んだ(と考えられていた)文化や技術、制度などを熱心に取り入れようとしていた時代でした。
そんな中、著者の岡倉天心は、『衰えかけていた伝統日本美術を復興再生し革新させる』という目的で、「西洋の物質主義」と「東洋の精神主義」の根本的な違いを深掘りした上で、目に見える物質的な成果よりも内面的な充足や精神的な豊かさを重視する東洋の姿勢を高く評価し、「The Book of Tea」という英語版の書籍として出版したのです。
そしてこれが、当時の西洋社会に対して『物質主義に対する精神主義の価値を再評価するきっかけ』を提供し、東西の文化交流における重要な橋渡しとなったとされています。
このように、『茶の本』は物質主義が主流だった時代に、日本の美意識や精神主義の世界に光を当て、文化や芸術、哲学に関心のある海外の読者にとって、日本文化への理解を深めるための入門書として位置付けられているのです。
物質主義と精神主義
では、『茶の本』で説かれている物質主義と精神主義とは、一体どのようなものなのか。本節では、物質主義と精神主義について簡単に解説します。
まず西洋では、物質主義が一般的であり、これは物理的な富や物質的な成果を価値の中心とする考え方です。
つまり、経済的成長や技術の進歩、個人の財産など、目に見える成功が評価されます。
一方、東洋の思想である精神主義は、世の中の多くが不完全であるという観点から、その不完全さを受け入れ、楽しむことの大切さを説いています。
この考え方では、内面的な平和や精神的成長、倫理的な生活が重要視されます。物質的な富よりも、精神的な満足や社会との調和を大切にする価値観です。
例えば、日本人は雲を眺めて想像力を働かせたり、アスファルトの隙間から芽吹く花を見て励ましたり、絵画を通じて作者の意図を読み取ろうとすることに喜びを見出す傾向があると言われています。これらは、『不完全なものに対して開かれた心を持つ精神の現れ』と言えます。
一方、西洋の物質主義文化では、不完全性に抗い、目に見える事実のみを価値あるものと見なす傾向があります。上述の例でいえば、『雲はただの雲』、『道端の花はただの花』、『絵画は金銭的価値で評価される』といった具合です。
このように、目に見えるもの・見えないものに対する捉え方や価値観の違いが、東洋の精神主義と西洋の物質主義との間の顕著な対立を示しています。
価値創出のアプローチの違い
現在、多くのNFTプロジェクトやユーザーの間では、物質主義的なアプローチによる価値創出や評価が主流となっており、これは経済的な利益や市場における競争力といった、具体的で測定可能な成果を追求する傾向によるものです。
しかし、このようなアプローチだけでは、『茶の本』で説かれている精神文化や不完全性の美学の価値を見落とすリスクがあります。不完全性を受け入れ、それを通じて真の美しさや満足を見出すという精神主義的な視点は、物質的な成功だけを追求する現代社会において、しばしば忘れ去られがちなのです。
したがって、フロアプライス至上主義から脱却するためには、物質主義的な価値観に偏重した現状を見直し、精神主義的な視点からの価値創出の重要性を再認識することが必要なのではないかと考えています。
NFTにおける金銭的価値以外の「価値」の追求
ここまで述べてきた通り、現在のNFTコレクションの多くが「フロアプライスという物質主義的な指標によって評価される傾向にある」と筆者は考えています。
もちろん、資本主義社会において、経済的利益や市場での成功を重要視するのは自然なことです。しかし、物質主義だけに依存することの限界も明らかであり、その限界を乗り越えるためには、伝統的東洋文明の価値を見直すことが重要であることも、かつて岡倉天心が『茶の本』を通して訴えたことです。
ということで本章では、『茶の本』で語られる「不完全性の美学」の内容をもとに、NFTコレクションで追求すべき新たな価値について、私見を交えて考察を展開していきます。
不完全性の美学とは何か
この続き: 4,354文字 / 画像16枚
まとめ
今回は、「価格」と「価値」の違いに注目し、NFTが現在のように金銭的価値の側面から高い注目を集めるようになった背景をおさらいしながら、日本文化論の名著の一つ「茶の本」における教えを引用して、『金銭的価値ではない「価値」の創造と、その評価に長けた日本人ならでは強みについて』に焦点を当ててみました。
また励みになりますので、参考になったという方はぜひTwitterでのシェア・コメントなどしていただけると嬉しいです。
◤ コラム|"価値"とは何か ◢
— イーサリアムnavi🧭 (@ethereumnavi) February 24, 2024
💰昨今のNFTに関する報道が『過剰な金銭的価値の追求』に偏りがちであることを警鐘
💰"価値"と"価格"の違いを再考し、西洋と東洋での価値観の違いを俯瞰
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