【日本語訳&論考】CC0×NFTの強気ケースについて|The Bull Case for CC0 NFTs

どうも、イーサリアムnavi運営のでりおてんちょーです。

イーサリアムnaviでは、毎日大量に流れてくるクリプトニュースを調査し、その中でも面白いトピックやクリプトネイティブな題材を選び出し、それを分かりやすく読みやすい形でお伝えしています。パラパラと内容を眺めているだけでも、事業やリサーチの新たなヒントに繋がることがあります。世界の最先端では、どのようなクリプトコアな試みが行われているのかを認識するだけでも、 思わず狭くなりがちな視野を広げてくれるでしょう。

今回は、「The Bull Case for CC0 NFTs」という素晴らしい英文記事について、著者のDonovan Choy(@donovanchoy)さんに許可を取った上で日本語訳させていただきました。

Donovan氏はBanklessのライターとして活動されていて、本記事以外にも素晴らしい記事を多く書かれていますので、ぜひこちらからご覧になってみてください。

さて、本記事を読むと、以下のことなどについて理解できるようになります。

  • CC0とは何か / その誕生の歴史
  • CC0はどのようにWeb3に結び付けられ、なぜ重要視されているのか
  • NFTクリエイターはCC0を採用する必要があるのか

NFTとCC0の組み合わせは各所で模索されている段階であり、賛否両論がある領域であると認識しています。
しかし、パブリックブロックチェーン上でアセットを構築する以上、NFTに対してCC0を採用すると得られるメリット/シナジー/及びその意味について、最低限は理解しておくべきであると筆者は考えています。

でははじめに、本記事の構成について説明します。

STEP
序文[日本語訳パート]

まずは、原文の導入部分を日本語訳していくことで、執筆時点においてCC0とブロックチェーンがどのような関係にあるかを整理します。

STEP
Web3の世界におけるCC0を理解する[日本語訳パート]

続いて、原文の本文部を日本語訳していくことで、CC0の歴史やweb3との関連性、およびNFTクリエイターにとっての必要性などについて理解を深めていただきます。

STEP
筆者の所感

最後に、筆者の私見を交えながら本記事を読み終えての所感、ならびに、CC0×NFTの可能性について解説いたします。

本記事が、NFT・CC0・NFTにおける二次創作などについて理解したいと思われている方にとって、少しでもお役に立てれば幸いです。

※本記事は一般的な情報提供を目的としたものであり、法的または投資上のアドバイスとして解釈されることを意図したものではなく、また解釈されるべきではありません。ゆえに、特定のFT/NFTの購入を推奨するものではございませんので、あくまで勉強の一環としてご活用ください。

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目次

序文

ブロックチェーンとCC0を組み合わせると、何が得られるでしょうか?

それは、「アートの完全なる解放」です。

NFTは、誰も予想しなかったような、奇妙でクレイジーな方法で普及しました。

ブロックチェーンのimmutability(不変性)により、アーティストやクリエイターは自分の作品に対して、信頼できるデジタル保有権を持つことができるようになりました。

これは、既存の右クリックで保存するデジタルの世界では不可能だったことです。

しかし、ブロックチェーンは必ずしも現実空間の保有権の問題を解決するものではありません。

だからこそ、Yuga Labs(CryptoPunks)のような企業は、現実の世界で自社ブランドの周りにwalled gardens(≒クローズドプラットフォーム)を築くことができるのです。

NFTに20万ドルを投じ、現実の商品開発を断られることを想像してみてください。🤯

このような制約があるため、Mfers・Cryptoadz・NounsといったCC0のNFTが爆発的に増え、保有者に対して「さらなる消費者の自由」を要求するようになりました。

今日Donovan氏は、CC0×NFTをめぐる知的財産権に関する議論を整理し、それについての強気な姿勢を示します。

Web3の世界におけるCC0を理解する

NFTの世界に身を置くと、MFers・Nouns・Blitmaps・Cryptoadzといった著名なNFTプロジェクトが採用している知的財産基準、Creative Commons 0(CC0)に関する話題に出くわすことが多いでしょう。

CC0とは何か、Web3とどう結びつくのか、そしてそれは本当に重要なものなのでしょうか?

こうした大きな疑問を打破するためには、まずアートの経済史の中にそれを位置づけ、ブロックチェーンがアート作品を解放する長い道のりの中で、いかにもう一歩踏み込んだ存在であるかを知ることが有効です。

アートの経済史

歴史的に見ると、アートは金持ちの遊び道具でした。最高級のアートは、常に富裕層の家や美術館に属していました。

20世紀の写真/テレビといった映像技術の出現により、大衆は少数の富裕層の施錠されたドアの向こう側を遠くから覗き見る機会を得ました。

この覗き見の特権はインターネットによって解き放たれ、アートは誰でも瞬時にアクセスできる無秩序なデジタルコモンズにさらされることになったのです。

出典:The Bull Case for CC0 NFTs

これは消費者にとっては素晴らしいことですが、(一部の)クリエイターを犠牲にすることになりました。

アートが限界費用ゼロでデジタルで閲覧・複製できるようになると、クリエイターは作品のマネタイズに苦労するようになってしまいます。

経済用語で言えば、アートは排除できない非競合的な公共財になったのです。

そこで、クリエイターの保有権を保護するために生まれたのが著作権法です。

しかし実際には、著作権は大企業が巧みに操る(そして細工された)法的機械です。

クリエーターは、著作権侵害で他人を訴えることはできますが、お金のない一般のアーティストには、著作権法は手の届かないものでした。

ブロックチェーンはアートクリエイターを支援する

そこで、ブロックチェーン技術が救いの手を差し伸べるのです。

ブロックチェーンは、アーティストがオンラインで作品に対する保有権を主張するための「コスト不要の手段」を提供し、一方で閲覧のためのパブリックドメインとして残すことができます。

これは、経済学者のChris Bergが言うところの新しいパトロン可能経済です。

誰もが視聴を楽しむことができると同時に、クリエイターには収益化の道が開かれているのです。

そして、パブリックブロックチェーン台帳は、アート市場に欠けている「真正性の検証の容易さ」を提供します。

これは、Brian Fryeの言葉を借りれば、NFTの保有者に対して真正性から生まれる『Clout(≒影響力)』を提供するものです。

Cloutとは、社会科学者がソーシャルキャピタルと呼ぶもので、「世間」が特定の個人や物に与えるはかない名声や尊敬のことです。

出典:The Bull Case for CC0 NFTs

ブロックチェーンは実質的に、著作権法における「事実上の」手段とは対照的に、インターネットの無秩序の中でデジタル資産に対する「法律上の」財産保有権を可能にするものなのです。

知的財産活動家にとっては、単純にブロックチェーン上のNFTの台頭は、著作権に対する「fuck you」なものの一つに過ぎませんでした。

ですがブロックチェーンは、クリエイターの保有権を解放するための記念碑的な一歩です。

しかし、1つだけ注意点があります。

それは、そのimmutableな保有権というのは、デジタル領域にしか存在し得ないことです。

つまり、ブロックチェーン上の保有権は、現実世界の市場を支配することはできません。

なぜならNFT企業は、NFTホルダーがデジタル保有権を現実世界の市場に拡大する権利(例:ブランドイメージを物理的な商品やイベントに使用する権利)を、制限することができるからです。

Larva LabsとYuga Labs

CryptoPunksやBAYCプロジェクトでの知的財産権をめぐる議論は、この点を明確に打ち出しています。

CryptoPunksは、Ethereumブロックチェーン上でimmutableなデジタル資産として存在します。

しかしLarva Labsは、その保有者が派生作品を作ったり、そのブランドを使用することを制限していたのです。

おそらく、有利な企業との取引に活用するために、自らのブランドを維持しようとしたのでしょう。

このため、保有者の不満が高まり、一部の保有者はプロジェクトを放棄してしまったという背景があります。

一方Yuga Labsは、BAYCホルダーに対して、派生作品を自由に作ることができる大きな商権を認めています。

しかし、それだけではまだ足りません。

まず一つ目の論点として、これらの権利はBAYCホルダー(つまり、高値のJPEGを買い求める小金持ち)にしか許可されていません。

さらに、apeホルダーは、BAYCのブランド名とロゴの使用までに制約されています。

これは、Arizona Iced Teaが試みた際に実証され、明らかになりました。(以下:参考記事)

もちろん、NFT企業は自由な市場の中で、私企業として自由に活動することができます。

しかし、道徳的に言えばこうした保有権の制限は、

  • Web3の哲学的理念
  • トラストレスかつ分散型の保有権における理想

とは相反するものです。

私たちのお金が中央銀行の操作から自由であるべきなように、アートと文化はビッグメディアから離れた公共財であるべきなのです。

したがって、私たちのオンチェーントークンの実世界での有用性を鎖で縛るような規制は、まだ多くの不満が残ります。

NFTとCC0

ここまでの話を踏まえて、CC0が登場します。

著作権法は、アーティストがその権利を望むか否かにかかわらず、芸術作品に自動的に著作権保護を与えるものです。

この法律を簡単に回避するために、アメリカの非営利団体クリエイティブ・コモンズは2009年に、クリエイターが自分の作品をパブリックドメインに属すると宣言できるライセンス規格「CC0」を発行しました。

CC0ラベルを付けたクリエイターは、法的な意味での保有権を放棄し、誰もが商業目的で自由に作品をリミックスできるようにします。

CC0は、あらゆるウェブサイトのページフッターにある「無断転載禁止」という冗長な免責事項の対極にある「無権利」を体現しているのです。

繰り返しになりますが、ブロックチェーンは作品に対して「信頼性のある財産保有権」を可能にすることで、クリエイターと消費者を解放します。

ただしこれは、メタバース空間においてのみです。

プロジェクトにCC0ライセンスを付与することで、私企業はNFTホルダーに対してインターネットを離れても保有権が損なわれないことを、追加的に保証することになります。

しかしそれ以上にCC0とは、現実世界の市場における最後の支配権を大衆に譲り、完全に分散化されたブランドを作るというラディカルな約束なのです。

CC0は、オープンソースの知的財産と呼ばれていますが、これはLarva LabsやYuga Labsをめぐる知的財産の議論を超越したものです。

CC0プロジェクトの知的財産を改変したり、利用したり、利益を得たりするために、あなたはNFTホルダーである必要もなければ、誰かの許可を得る必要もありません。

出典:The Bull Case for CC0 NFTs

オンチェーンNFTに適用されるCC0ライセンスは、これらの制限をすべて無にするので、民間企業によって築かれた不透明な知的財産の境界線を歩き回るような行為を、過去のものにします。

CC0にするか否か

NFTクリエイターは、CC0を採用すべきなのでしょうか?

哲学者の帽子をかぶれば、その答えは簡単です。

CC0はWeb3のリバタリアン精神とうまく調和し、ブロックチェーンでは手の届かない「NFTに対する現実世界の保有権」という、付加的なレイヤーを提供します。

CC0は、言論と情報の自由の名の下に、企業が公共財を囲い込みそこから私的利益を得ようとする試みを阻止するのです。

しかし、CC0にする理由は、必ずしも高尚で道徳的なものだけとは限りません。

例えば、単に「クリエイターの自己利益に繋がるから」かもしれないでしょう。

最も成功するNFTプロジェクトというのは、強力なコミュニティのキュレーションに依存しますが、CC0ライセンスはこれを可能にします。

CC0ライセンスは、プロジェクトに対して最も忠実なファンが、ネットワーク効果を得るためにボールを回転させるための惰性を軽減するのです。

NFTクリエーターは、既存の作品を自由に作る/作り変えることで、「100人の真のファン」のコミットメントを活用し、作品を認知させることができるのです。(以下:参考記事)

そして、その最たる例が、8ヶ月前に発足したCC0 NFTプロジェクト「Nouns」です。

Nounsプロジェクトは、すでに130近くもの派生的なオンチェーンプロジェクトおよび現実世界の商品に輪を広げており、オリジナルブランドの価値を高めることに貢献しています。

Nounsの派生プロジェクト一覧は、Nouns Centerから閲覧可能です。

これらの派生作品のクリエイターは全員、Nouns NFTを保有しているのでしょうか?

おそらく、そうではないでしょう。

しかし、正しい答えはこうです。誰も気にしていないのです。

これは、BAYCでもある程度同じことが確認されています。

BAYCはCC0ライセンスではありませんが、知的財産の自由度が高いため、メインストリームのミュージシャン(Timbaland)や大手レコード会社(Universal)が、BAYCブランドの上に構築する試みを歓迎しました。

一方CryptoPunksブランドは、優良企業であるにもかかわらず、こうした派生的なクリエイションは顕著に見られません。

しかし、BAYCはまだ足りていません。非CC0プロジェクトであるせいで、富裕層のNFTホルダーにとってビジネスリスクが存在するのです。

ある作家は、こう言っています。

個人個人の商業化に対して上限額を設けない非CC0プロジェクトにおいて、ビルダーは他の企業やプロジェクトと合法的なパートナーシップを結べないというリスクが残ります。詰まるところ、非CC0プロジェクトの周辺で創作することを選択したビルダーには、将来的にプロジェクトの条件が変更されるという危険性があるのです。

また、NFTクリエイターは、コンポーザビリティと相互運用性が重要な意味を持つWeb3のインフラで競争しているという事実も、合わせて認識する必要があります。

メタバースがその誇大宣伝の通りであれば、最も速く・最も激しくコピーされるアートやキャラクターは、数少ない障壁によってしか妨げられないものになります。

CC0プロジェクトは、そのパーミッションレスな性質のおかげで、CC0以外のプロジェクトよりも大きな優位性を持ちますが、法的な障壁により将来的なマルチチェーンの世界における「完全なる相互運用性」が制限されてしまいます。

CC0は乗数効果として機能しますが、それはクリエイターがそうさせた場合のみに限られます。

CC0の実務上の留意点

CC0を採用するかどうかは、NFTプロジェクトの性質とクリエイターの目標に依存するところもあります。

Simon氏の記事「Building Expansive NFT Universes: CC0, Fidelity, & On-Chain Bundling」では、『CC0プロジェクトは、サードパーティのビルダーがより広い範囲で解釈できるため、忠実度の低い解像度を持つベースレイヤーのNFTにより適している』と主張しています。

出典:Building Expansive NFT Universes: CC0, Fidelity, & On-Chain Bundling

そのため、CryptoadzやNounsのようなピクセルアートのプロジェクトや、Lootのような素っ気ないtraitsのみのプロジェクトは、CC0ライセンスに最適なのです。

これと同じ理由で、CC0は、細部をコントロールしたいプロジェクト、おそらく長期間にわたって特定のストーリーを伝えるためのプロジェクトには、おそらく全く適していません。

CC0は完全なカオスを意味するのか

CC0に対する懐疑論は、あるレベルの集中的なクリエイターコントロールがなければ、スターウォーズやハリーポッターの世界のような豊かで一貫性のある世界が奪われるという恐怖から生じる傾向があります。

ちなみに、この記事の内容が本当であればバットマンとスーパーマンは2033年までにパブリックドメインになる予定なので、あとは残されたものを楽しんでください。

ただ、CC0プロジェクトは、その既存のブランディングを頓挫させたり破壊しようとする悪意ある行為に対してより脆弱であることは間違いありません。

しかし、CC0がアートに対してもたらす害は利益に比べればごくわずかであると、私が確信している理由が3つあります。

そしてこれをもって、本記事の締めとさせていただきます。

  1. 第一に、アートは常に少数ではなく多数が創造しているところで、勝利を収めるものです。たとえば漫画の世界では、この現象を完璧に言い表しています。MarvelとDCは、キャラクターの基本的な知的財産を保有していますが、定期的に様々な第三者の作家や映画制作者に創造的なコントロールと許可を譲渡しています。そのため、スーパーヒーローや悪役は、異なる時間軸で複数のキャラクター設定や描写がなされています。このおかげで、視聴者は常にポップカルチャー全体で新鮮な再想像の息吹に触れることができるのです。
  2. 第二に、CC0懐疑論者は、最もリッチな映画やビデオゲームの世界でさえも、一人の創造的頭脳によって真空の中でデザインされたものではないことを過小評価しています。最も壮大な世界観は、常に以前のアーティストから借用した、パスティーシュのパッチワークです。スター・ウォーズは素晴らしい作品ですが、George Lucasは黒澤明のような20世紀の日本の映画監督から多大な影響を受けており、彼自身もそれを認めています。現代のポップカルチャーにおけるDwarvesやelvesは、しばしばJ. R. R. Tolkienの芸術的才能によるものとされるが、Tolkienはそれらを北欧神話から多用したのです。Marvelの人気スーパーヒーローであるThorやLokiも、パブリックドメインにあるアイデアを基に創作されました。
  3. 最後に、そしておそらく最も重要なこととして、ブロックチェーンテクノロジーが既に私たちの手元にあります。ブロックチェーンがなければ、クリエイターが保有権を確立するのに苦労している間に、アートが急速に複製されてしまう可能性があることを忘れてはいけません。しかし、publicな分散型台帳は、著作権法のような政治化されたツールに頼ることなく、一般の人々が組織的かつ中立的に、アマチュアの荒らし屋と壮大なビジョナリストを簡単に見分けることを可能にし、そこにある種の秩序をもたらしてくれるのです。

筆者の所感

さて、昨今では「Web3」が市民権を得つつある単語として、すっかり定着してきました。

Web3という単語は、使う人によって捉え方やその意味がまったく異なるものであると理解していますが、本記事の文脈に照らして考えてみると『オープンであること』『コピーされ得るものであること』などを含む概念であると、抽象的には言えるでしょう。

つまり、Web3プロダクトにおいてはコピーされる方がそれを防ぎ囲い込もうとするよりも自然な現象であり、それに争わない設計にした方がWeb3であることの恩恵を享受しやすいのではないか、という私説です。


この続き: 1,345文字

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まとめ

本記事では、「The Bull Case for CC0 NFTs」という素晴らしい英文記事について、著者のDonovan Choy(@donovanchoy)さんに許可を取った上で日本語訳させていただきました。

本記事が、NFT・CC0・NFTにおける二次創作などについて理解したいと思われている方にとって、少しでもお役に立ったのであれば幸いです。

また励みになりますので、参考になったという方はぜひTwitterでのシェア・コメントなどしていただけると嬉しいです。

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